日本のポピュラーミュージックは、ネットでは批判されがちだ。
とくに2chやまとめサイトなどを見ていると、
- 「J-POPはレベルが低い」
- 「どれも似たような曲」
- 「あたりさわりのない歌詞」
- 「中身のないアイドルばかり売れる」
- 「欧米の劣化パクリ」
- 「真新しさがない」
などとボロクソに言われたりする。
今回、それに対して
「そんなことはない」
と反論するつもりはない。
これらの批判は日本の音楽市場は甘んじて受け入れるしかないだろうと思う。
一方で音楽で食べていくには、今の音楽の形はとても最適化されている。
- 事務所のスタッフ
- レーベルで働く人
- ライブハウスのスタッフ
といった音楽業界の人たちとアーティストがみんなご飯を食べていけるのは今の形があるからだとも言える。
実際年々、音楽市場は(CD市場は落ち目だが)増加している。
今回は、なぜこのように批判ばかりされる音楽市場なのに、お金を稼ぐことができているのか?
その魅力について一緒に考えて行きたい。
ポピュラー音楽の魅力①メロディがシンプルでわかりやすい
ポピュラー音楽のメロディは非常にシンプルだ。
例えば、短くわかりやすいモチーフがあり、例えばそれを「ドミーファ」と仮に決めてたとする。
すると、そのドミーファをもとに、ドーミファであったり、ドドミファであったり、アレンジしていく。
あるいはドミーファドミーファと単純に繰り返す。
そうすることでモチーフを聞き手に印象づけ安くなる。
難しいメロディや何回な音楽のほうが飽きがこないものであるが、そもそも聞いてもらえない曲に飽きるもくそもない。
よって、短いモチーフを飽きないように細かく変更して最後まで聴かせるような手法がポピュラーミュージックでは取られている。
巧妙にバックサウンドにも歌メロのモチーフ(あるいはイントロのモチーフ)が含まれていて、どれだけ音楽的素養が薄くても、ハマれるような仕組みになっているのだ。
逆に短いモチーフで曲を作ればモチーフそのものが「これどっかできいたことあるぞ?」とわかるようになり、どうしても既視感が出てくる。
そうすると、音楽を聞き慣れたユーザから「これはパクリだ」「これは二番煎じだ」とバカにされてくるのだ。
しかし、短いモチーフを使うというポピュラーミュージックの特徴からしてこれは仕方ないことでもある。
全てをパクリだと言ってしまえば世の中からほとんどの曲が消えてしまうことになるだろう。
これと同じような理屈で「コード進行」と呼ばれる、バックサウンドの流れも、同じようなものが多くなる。
「ドミソ」「レファラ」などと、ピアノで鍵盤を一個飛ばしに和音を弾いたことは誰でもあると思う。
楽曲にはその「和音」を曲の展開にあわせて羅列している。
ドミソー ソシレー ファラドー
といった具合にだ。
しかし、こんなもの、組み合わせは極論で言えばドからシまでの7つまでしかない(もちろん、詳しいことをいえば色々な和音があるのだが)。
したがって、コード進行も、大衆に気に入られるようなものを選別していけば自然と同じようなものになってしまう。
これも「コード進行がパクリだ」「コード進行が同じものばかり」と、ポピュラーミュージックが批判される理由となっている。
ポピュラー音楽の魅力②歌詞が誰にでも当てはまり想像しやすいものになっている
ポピュラー音楽で一番批判されているのは歌詞だといっても過言ではない。
先ほどのメロディのモチーフやコードなんかはちょっと楽器を触ったことがないと理解できない部分なので一般的にはわからない人もいる。
しかし歌詞は誰が聞いてもわかる。
「君が好き」
とか
「愛してる」
とか
「君が教えてくれた」
とか
「そばにいたい」
とか
「季節が移りゆく」
とか、そういうありきたりなフレーズに一般人でさえ眉をひそめてしまう。
しかし、音楽とはそういうものだ。
こういった批判傾向は音楽を聞けば聞くほど出てくるものだが、そもそも音楽は誰でも聞けるように作ってる。
玄人受けのいい難しい言葉の歌詞なんて作っていたら、初めて音楽を聞く客層に曲を聞いてもらえない。
ようは金が稼げないのだ。
どの業界でも新規顧客は大切だ。よって、同じようだと思われても、初めてでも聞きやすいようなフレーズが歌詞でも多様されていく。
また、学がなくても、バカでもサルでも歌詞が理解できないといけない。
そうなると、あまり複雑な解釈や意味を込めてしまうとバカが理解できない。
バカでもわかるようなシンプルで「君が好き」といった歌詞にしたら、誰でも理解できる。
「ああ、君が好きだってことなんだな」
と。
そういった理由から、誰でも聞けるように歌詞がひねりなくわかりやすい言葉で書かれていることはデメリット以上に、商業上のメリットがある。
それは決して悪いことではなく、そうしないと音楽を聞き続けられない人が実際にいるから仕方ないのだ。
ポピュラー音楽の魅力③タイアップや宣伝など色々な場面で使い勝手が良い
ポピュラー音楽はだいたい3分〜4分ぐらいで、長くても5分程度だ。例外もあるが、基本的にはそう。
そしてサビの長さもテレビのCMに合わせて15秒か30秒にすることが多い。
音楽業界は「CDを売ってライブして終わり」という商売ではない。
それだともともと音楽に興味を持ってる層にしかアプローチできない。
せっかくバカでも音楽知識ゼロでも聞けるように作ってあるのにそれではもったいない。
そこで、テレビのCMに出たり、ドラマの主題歌になったり、お店のBGMにしたり、いろんな場面で活用して多くの人に聞いてもらう工夫をするのだ。
Aメロからサビにかけてどんどん音を増やして盛り上がりを演出したりするのも、サビが15秒なのも、歌詞がどんなものにタイアップされても意味がおかしくなりすぎないぐらいには汎用的なのも、全てはそのためだといっていい。
10分ぐらいの長い曲も
サビがない曲も
「君が嫌いだから死んで欲しい」という歌詞も、実際には存在する。
それでもやはりオリコンチャート的には振るわないし、すでに売れているアーティストがやっと自分たちの表現の規制が取れてハメを外しているだけにすぎない。
ただ、自分が好きな音楽を振り返れば、ドラマやCMがキッカケだったことがあるのは、誰しも経験するところだろう。
よって、他のメディアや宣伝のために最適化された音楽も一概に悪いとはいえなく、むしろ俳句のような様式美でさえあるといえる。
実際、今更80秒ぐらいのサビなんて誰も聞きたくないし、5秒のサビなんて物足りなく感じるだろう。
ポピュラー音楽の魅力④アーティストがキャラクター化されていて魅力がある
こうもポピュラーミュージックが売れ続けるのはアーティストがキャラクター化されて客寄せパンダになっているからだ。
実際にアーティストが演奏しているのか、口パクじゃないのか、歌詞は他人が書いたのか、作曲も他人なのか、そんなことはどうでもいい。
ただ、キャラクターとして「自分が作曲したことにしている」シンガーソングライターなんてごまんといる。
実際に歌を歌わないアイドルなんて当たり前で「あいつは歌をうたってない!」なんて批判する人は誰もいない。
口パクはもはや当たり前のことなのだ。
では何が大事かと言えば、「キャラクター性」だ。
実際に歌のうまさや演奏のうまさなんてあんまり関係ない。
特に楽器なんて素人が聞けば誰がひいてもよほど下手くそじゃない限りは同じに聞こえる。
ライブ の公演に接待に挨拶周りに営業に、アーティストは忙しい。
ノコノコとスタジオにこもってヒキコモリのようにレコーディングや作曲をしてる暇なんてそもそもあまりないのである。
したがって、レコーディングスタジオには腕利きのレコーディング専門スタジオミュージシャンがいる。
彼らはキモいおっさんだったり、頭皮がすでに見え隠れする年寄りであるケースもあるが、実力は神がかっている。
1msも狂わず正確に演奏(あるいはあえて計算してずらす)ことに長けた達人たちなので、彼らがレコーディングを行えば、エンジニアも修正が楽だ。結果的にコストカットになる。
結局編集してピッタリリズムを合わせるのであれば本人が何も演奏する必要なんて最初からないのである。
そういうわけで、アーティストには職人性よりもキャラクター性が重視され、プライベートで不倫がどうだとか、好きな食べ物はワンタンメンでメーカーはどこそこがいいとか、実は家では裸族であるとかそういった情報の方が大切なのである。
しかし、そのキャラクター性こそが人を引きつける最大の要員だ。
人は基本的に人を好きになる。
「その人が演奏する音楽だから、苦手だったジャンルの音楽が好きになった」
みたいな経験を持つ人も多いはずだ。
「その人が使ってる製品だから私も買う」
みたいになれば宣伝効果すらある。生きた広告塔だ。
これはアーティストに限らず、すべてにおいての好き嫌いにいえる。
好きな人だから、その好きな人がやってるものには金を払いたいのが人間の性であり、とくに音楽では小説や漫画なんかよりも、その傾向を利用しやすい。
やはりそれは直接顔を表に出して活動するからだろう。
そこを利用しない手はない。
ポピュラー音楽の魅力⑤バックサウンドが豪華・派手で盛り上がりがある
とくにここ最近の音楽シーンではこれが顕著だ。
バンドの曲でも
「お前らのバンドにそんな音出すヤツいねーだろ」
と思うような効果音やシンセサイザー、キーボードの音をビロビロ入れて音楽を派手に演出する。
ギターのメンバーが2人しかいないはずなのに、音源をきけば4本か5本分ぐらいのギターが聞こえてくる。
そして極め付けは音圧だ。
スピーカーの性能を最大まで引き出すように音の波をペッタンコにして「ただ大きいだけで抑揚のない音」を意図的に作り上げる。
一見ハデだからだ。
派手であればテレビのCMでも目立つ。
他の曲より目立てれば曲が売れる。
まず、曲を知って覚えてもらわなければ売れないアーティストたちは目立つ必要がある。
なによりもだ。
だから、音楽は基本的に派手だ。
最近はバラードでさえうるさい。
そのため、未だに店舗で流れるBGMは昔のバラードがたくさん流れてたりする。
今のバラードはうるさいからだ。(例外もあるが、そういうのはチャートにあがらない)
しかし、派手なものは単純に楽しい。実際派手なものしかないのではなく、派手なものが売れているのが現実だ。
つまり、批判するどうこう以前に我々がそういう音楽を選んで買ってるわけだ。
パチスロでも画面がビカビカァツ!!!と光ってベロレロレローー!!とバカみたいに音がなって、ジャラジャラとやかましく玉が出てきて、人の判断力を鈍らせるほどの面白さを演出する。
「ここを押せぇっ!!」なんて言ってボタンやレバーがついてて押したりしてそれを押したらまたビロリリロリロ!!!とやかましい音がなって派手に演出する。が、それでタマが出るわけではない。
音楽も理屈でいえばそれとは変わらない、ドハデで気持ちよくて判断が鈍ってしまうぐらいの体験をしてみたいと誰しもが思ってることなのだ。
そうでなければ、DVDで見れるようなムービーを、あえて映画館にいって鑑賞したりなど誰もしないのだから。
ハデで良質な音や映像で見れる映画館だからこその良さが、あるのだ。音楽同様に。
まとめ
批判的な記事になってしまったが、実際ポピュラーミュージックは優秀だし、これからも売れ続けていくと思う。
それを「嫌いだ」「くだらない」と切り捨てるよりも、「同じような曲のなかでの細かな違いや配慮」を楽しむべきではないだろうか?
俳句も5、7、5の縛りの中での音楽で、小説や自由詩みたいな自由度は全くない。それでも縛られた形式のなかで、表現を模索し、未だに新作がでてくるようなものなのだ。
音楽もそうだ。サビの秒数、当たり前のようなハデさのなかで、クリエイターのささやかな反抗のような細かい主張を嗅ぎとろうとする視聴の仕方こそが、クリエイターとファンのコミュニケーションではないだろうか?
今は「シェア」の時代で、一方的に情報を配信される時代はおわり、だれでも音楽や言葉などの作品、意見を発表できる時代になった。
そんな時代だからこそ、音楽ユーザーとしての自分が、発信側のアーティストやクリエイターに対してどのように
「メッセージをつかみとり、解釈するのか」
俳句の真意や背景をさぐるような気持ちで、これから大衆音楽に触れていくことも、この時代には求められるのかもしれない。