これからどのような事業を行うにしても
「文章力」
つまり文章を書く能力がかなり重視される。
なぜか?
それは全てのビジネスにおいて「集客」の工程が非常に重要だからだ。
仮にあなたがとても素晴らしい1億円の価値のある商材を扱ったビジネスをはじめても、客が一人も集まらなければ無意味だろう。
逆にあなたが自分の鼻の穴をほじることによって手に入れたハナクソを1万円で売りつけるようなふざけたビジネスをはじめたとしても、集客が圧倒的に凄ければ、少しは売れるかもしれない。
それぐらいに集客はとても重要なのだ。
ではどうやって集客をするのかといえばそれは「文章の力」がしめる割合が大きい。
テレビやYoutube動画の広告効果も大したものだが、それだって、脚本やプランは文章で作られているわけだ。
文章には人を動かす力があり、人を動かすことさえできれば、ビジネスはうまく行く。
さらに文章力を鍛えることにかかるコストなんて微々たるものだ。
せいぜいネットで調べたり、書店で安い本を買うぐらいでも学ぶことができる。
上記の記事では、どうやって文章(言葉)を使えば人が惹きつけられるのかを詳しく書いておいたので興味があれば読んでほしい。
今回はなぜ文章を極めれば食いっぱぐれがないかについて話して行く。
文章力があればどのような生き方をしていても強みを発揮できる
体を使う仕事、IT系、文系理系関係なく、文章力があれば必ず役に立つ。
「文章をかける人」とはただたんに「文章を書く力」ではない。
「言葉」
を使って、
「言いたいことをわかりやすく伝える」
ことができる。
それだけでなく、自分の意見に説得力を持たせられる。
あなたが「人類」と関わる限りは「言葉」は絶対に使う。
上司への交渉、部下に対する話し方。取引先とのやりとり、同僚との接し方、全てにおいて、文章力を応用することが可能だ。
それだけでなく、文章を論理的に構成する力は「誰でも養える能力なのに、意外とみんなできてない」のが日本の特徴だ。
欧米各国では、文章作成能力はかなり重視されていて、子供でもちゃんとした文章を書く練習をする。しかし、日本ではそうはならない。
大学で「小論文」を書く機会が出てくるまでは、文字数さえクリアしていれば単位がくれるような文章しか書く機会がない。
こう話すと日本は文章作成能力が劣ってて残念だと思われるかもしれないが逆の発想をしてほしい。
「みんなができないことができる」=「重宝される」
という図式が成り立つ。
あなたが文章を書く力をもっていれば、あなたにしかできない仕事が舞い込んでくることになる。
まともな文章訓練を受けてない日本人が多いからこそ、日常でも仕事でも活かせる文章力を鍛えておくことは、かなり有意義だと言えよう。
文章力があればIT化した社会でさらにウマみが得られる
昔は新聞社やテレビ屋の人間が情報を発信し、人々に影響を与え続けていた。
自分が同じことをしようと思えば、マスメディアとしてどこかの会社に入って記者になったりするほかなかった。
しかし、そこで「言葉」を巧みに使いこなして、人望を得られたとしても、組織に飼いならされている以上いえない言葉もあるし、いつも伝えたいことを伝えたいままに伝えることはできなかった社会だった。
そして時代が代わり、IT社会になる。
そうなると、誰でも情報が発信できるようになった
文章のしっかりしたコンテンツ(中身)を発信していれば、無名のブログであってもGoogleやヤフーなどのウェブ検索でヒットするようになる。
このブログも、無名なのにもかかわらず検索エンジンにヒットして今あなたが読んでいるのだ。
そして、発信力を持てば何ができるのか?
その答えは
「なんでもできるようになる」
文章が毎回人に読まれるようになると、自分の言葉が、そのコミュニティに、社会に影響を与えるようになる。
そうなると、あなたが
「こういうことをしたいから、こういうものがほしい」
といえば、お金を出してくれたりものを出してくれたりする人が現れる。
「なんの得もないのに、誰がそんなバカみたいなことをするのか?」
とあなたは思うかもしれない。
だが、文章力がある人は、そう思わせない。
お金やものを提供することを、自分にとって重要で価値があることだと伝えることができるのだ。
したがって、趣味の仲間を集めることも仕事を新しく始めることもできるようになる。
こちらは大したお金を持っていなくていい。ただ文章がかけるだけでいいのだ。
カフェをしたいのであればカフェのお金を出資してもらえればいい。
ブログで情報を伝えて、一緒にビジネスをしてくれるパートナーを探せば、共感してくれる仲間が見つかる。
あるいは、お店を開いてから集客するのもブログでお金を書けずに集めることができる。
従来集客とは「お金がかかるもの」だったが、今では文章力さえあれば自分でタダで広告効果の高いブログを持つことができる。
さらに、そこまで文章力があれば誰かの文章作成の依頼を受けることもできる。
管理人の事例でいえば、記事一本更新するだけで1万円以上もらえる仕事をもらっていた。
さらに、今はちょっとした事務的な軽作業(1、2時間でできる作業)を3万円で単発で頼まれたりもする。
どうやってそのようなことをしたかといえば、「仕事を受けるためのブログ」を作り、集客した。
そこで知り合った人から、仕事を回してもらえるようになり、文字数単価を交渉してあげてもらい、信頼を得て、簡単な手伝いだけで大きなお金をもらえる関係になった。
これは「IT社会」のウマみだ。昔の社会では決してこのように自分の影響力を演出することができなかった。
文章を書いても人に読ませる場所が用意されていなかったのだ。
なので、文章といえば、一般的に詩人や小説家のように浮世離れをした人が想像されるが、今は決してそんなことではなく、武士が刀を振れるぐらい当たり前のスキルだといっても過言ではないだろう。
まとめ
以上のように、文章力を養うことは、人生のあらゆるところで活かすことができる。
お金も稼げるし、人間関係のトラブルにも対応できるだろう。
それだけでなく、文章と向き合えば、「論理的な考え」ができるようになる。
モヤモヤしている自分の主張や考えを整理して、他人に対して自信を持って話すことができるようになった。
もちろん、会話をするときに、じっくり文章を考えるような時間がなく、ある種の瞬発力が求められるのも事実だ。
そういった意味で文章を書いてれば会話力がつくとは言い切れない。
しかし、スピーチや一方的に話すトーク力は確実につく。
人よりも短い時間で会話のオチを作り上げることができるからだ。
もちろん、人を引きつけるための発声やジェスチャーなどの作法も必要だが、文章力がそのまま応用できるのも事実だ。
人と会話をするのが上手な人間は、キャバ嬢やホストだろう。あんなにけばけばしく一般ウケをしない見た目で、お金を持っている人間相手に相手を喜ばせる会話をし、それでお金をもらうプロの人間だ。
他にも、営業の仕事をしている人間も、会話力は高いといえるだろう。
私は、会話力は「異性との関わり」が一番成長させてくれると思っている。
私もこういった恋愛インタビュー音声をよく聞いていた。
なぜなら、異性とはちょっとした外国人のようなものであり、男性と女性で買うものや趣味が全然違っていて、文化が違うのだ。
その文化が違う人どうしで、どのように仲良くなり、どのように惹きつけていくのか?
そこを考えていくと「同じ趣味の仲良しとだけ喋れる」といった汎用性のない会話力ではなく、だれとでも円滑にコミュニケーションできる会話力を養うのは「異性との恋愛だ」とつくづく感じるわけだ。
話がそれたが、文章力は会話力と並ぶぐらいに大事な能力だ。
「インターネットの時代」である限り、バンドの集客でも赤字で集客効果の期待できないライブを繰り返すよりも、一生懸命ブログを更新し続けながら活動するバンドの方が、早期にファンを獲得していけるだろう。
メルマガでは、音楽と絡めた文章力についても詳しく話しているので、バンドで独立したい人は必ずチェックしておいてほしい。
また、集客については
こちらの記事も参考に。
それでは。